セントラルヒーティングという思考

 

 

アメリカに来て、困ったことの一つが「温度調整」

 

 

 

私は人並み外れて、冷房が好きじゃない。

 

 

本当に我慢ができないほど暑くて、

熱中症になりそうだ、という時でなければ、

できれば、可能な限り、極力クーラーをかけたくないと思っている。

 

 

この国では、

困ったことに

レストランだろうがデパートだろうが、

まるで冷蔵庫のように冷えている。

 

 

そして、本当に心から困るのは、実は外出先ではなかった

 

 

この冷蔵庫のような室内空間を作りたい人たちが沢山いるこの国の、

一般的な冷暖房のシステムが

「セントラルヒーティング」というやつなのだ。

 

 

 

 

日本だと、各部屋ごとに冷暖房器具が設置されていて、

それぞれ個別に温度調節することができることが多い。(と思う)

 

セントラルヒーティングっていうのは、

家一軒とかアパートのユニット丸ごとを、一つのコントローラーで操作できちゃう。

 

 

一箇所で集中管理できるから確かに手間いらずかもしれないが、

私にとってはとんでもない仕組みに他ならない。

 

 

どこの部屋も同じ設定の温度がインストールされるから

アメリカ人と一緒の家で、セントラルに管理されちゃうと

私はもうお手上げなのだ。

 

 

 

冬に20度を下回れば寒いと思う私。

気温が20度まで上がってくればkind of hotって言ってるアメリカ人。

 

 

ここ最近の、20度前後の気温が続く日々に、

温度設定の攻防が繰り広げられていく。

 

 

私がちょっと油断すると、いつの間にかクーラーがかかってる!

アメリカ人からすれば、ちょっと油断するとヒーターがかかってる!ってことになってるはず。

 

 

 

このシステムの下では、誰かの要求は誰かの我慢を求め、

必ずどこかで歪みが生じてしまう。

 

セントラルじゃなくて、パーソナルだったら何の問題もないのに、

どうして集中して一箇所で管理したがるんだろう。

 

 

 

 

 

こんなセントラルヒーティングの事を考えていたら、「西洋医学」の画一的な病名診断システムが思い浮かんでしまった。

 

 

西洋医学では、診断名をつけることがが何より大事。

 

 

同じ診断名を付けられた誰もが、

診断名に対応してるという同じ薬を処方され、

同じケアをされることになる。

 

 

同じ診断名をもらっても、

人によって必要とするケアはそれぞれ違っているはずだけど

診断名ありきだからどうにもならない。

 

 

これってセントラルヒーティングと同じ思考だと感じてしまうのだ。

 

 

 

誰もが同じだという前提で、個々の多様性を認めない。

 

ああ、そんな考え方もあるんだ!

そうか、キミはそんな風に感じていたのか!

 

そんな、違いを認める発想には繋がっていかない。

 

 

たかがセントラルヒーティング。

 

”たかが”ではあるけれど、

誰もが同じはありえない、生身の人間が暮らす家を

恐れ多くも支配するシステムである。

 

 

たかがセントラルヒーティング、されどセントラルヒーティング。

 

どうやら私は、自分と違うものに

自分と同じであることを強要する

このセントラルヒーティングによほど恨みがあるとみえる。

 

 

たかが温度調節のシステムに、

それぞれの違いを尊重できない社会の危険性すら感じてしまう私なのであった。

 

 

 

 

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