立つのと死ぬのが難しい

 

山のように立ち、死人のように死ぬ。

 

 

 

私は日本にいた時からずっとヨガを続けてきた。

 

でも、あくまでフィジカルな意味でのヨガの捉え方をしてきたから、

アーサナ(ポーズ)が上手になることが良いことなんだと思い込んでいた。

 

 

ヨガをやるのは、体の柔軟性やバランスをキープするのが目的だと思っていた。

 

 

 

 

サンタモニカカレッジのヨガのクラスに参加して出会ったヨギーは

私より一回りくらい年上だけど、バランスの良い体型を保って、

何よりライフスタイルがナチュラルで素敵な人だった。

 

 

 

彼女は、アーサナヨギーになったらいけないと言う。

 

そして、ヨガの哲学やポーズを日常生活に取り入れること、

自然界から学ぶこと、

そんなことをアーサナを通して教えてくれる。

 

 

 

 

私は、ヨガ歴長いし、シニア向けのクラスの中ではまだ若手だし、

アーサナは誰より上手に正確に出来てるって自負していた。

 

なのに、ターダアーサナで修正が入る。

 

 

ターダアーサナ(Tadasana)または サマスティティ(Samasthiti)というのは山のポーズと言われる。

ただそこに立ってるだけのポーズ。

 

立ってるだけといっても、山のように安定した立ち方が要求される。

 

 

サマスティティは、まっすぐに不動にしっかりと堅固に立つという意味がある。

 

 

日頃、立つことに何の意識も向けていないけど、

どっしりと揺らがずに立つということがどれだけ難しいか。

 

無意識で立ってるのを、不動な立ちへとしっかり意識して

いずれそれを意識しなくても、無意識のうちに不動な立ち方ができるように繰り返す。

 

武術の「型」を飽きずに繰り返し、無意識領域へと持って行く鍛錬と同じ。

 

 

 

 

山のように立つ。

立つだけでしょ?

 

 

確かに、ただ立つだけなんだけど、

山になって立つために、まず、体との対話が始まる。

 

バランスをとったり、力を入れるポイントを探ったり。

 

だんだんと目線とか呼吸とかにも意識が向いて

最終的には山のように、どっしりと自信を持って佇む心境が要求されてくる。

 

山の心境。

 

これはシャバアーサナ(死体のポーズ)で力を極限まで抜くために、死人の心境になるのが難しいのと同じ。

 

ただ立つのと、生きながら死んでみるのは難しい。

 

 

 

 

肩に痛みを感じる日、腰が重いと感じる日。

立つ日によって、違った感覚が押し寄せ、

体の訴えに耳を傾け、それを癒したり励ましたりしながら、

山になろうと試みる。

 

 

きっと山だって、雨が降ったり風が吹いたりして

手中に育む木々がさんざめけば、毎日違う「立ち」をしているんではないだろうか。

 

 

それでも一見不動に見える山の立ちにどこまで近づけるのか。

 

 

体の声を聞きながら、最後は自分のメンタルとの対話になっていく。

 

 

 

感情と言葉を一致させるという昨年の目標を継続しながら、

ある朝頭に降ってきた、「無意識を捕まえる」というとてつもなく抽象的な今年の目標に近づくために

山のように立ち、死人のように死ぬ。

 

 

 

 

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