武士に二言があったら許せない?

 

約束は、当然のことだけど守るためにあると思う。

 

破ることを前提になされる約束なんて約束じゃないもんね。

 

 

だけど、人はいつも同じ状態で居られるわけではなく、心も体も常に揺らぎ、動き、変化しながら毎日を送っている。

状況によって変化できないとしたら、逆に不自然だし、変化できるから強いとも言える。

 

 

 

 別に約束なんて、どんどん破ってもいいじゃん、ってことじゃない。

 

 

現在地が変化する時、自分が変化する時に、それにしがみつく必要がないものだったら、斬り捨てて進むのだってありなんじゃないかってこと。

 

 

だから、武士が二言を言ったとしても、それがあなたと交わした約束ではなく、彼の内面の感情に変化が起きたのなら、彼は彼自身の気持ちの変化を受け入れても良いんじゃないかなぁと、思うのだ。

 

 

 

 

アメリカで暮らし始めて驚いたのは、ここの人たちって「気が変わったの〜」って理由だけで、店やオンラインで買った商品をどんどん、バンバン、ものすごい勢いで返品する。

 

だからレジに並ぶ人は、商品を買いたくて待っている人だけじゃなく、気が変わったり、後で見たら気に入らなかったりした物を抱えた人がかなりの頻度で混じっている。(根っからの日本人の私は、この光景に時にイラッとするんだけど笑)

 

アメリカはchange my mindを正当な理由として受け入れちゃう土壌があるってこと。

 

 

武士に二言はない、という言葉が示すように、日本では一度口に出したことは何があっても貫き通せという風潮が根強い。(と私は感じるし、私もそうあるべきと固く信じてきた。)

 

これって、素晴らしいことである反面、呪縛され続けなくても良いようにも思う。

 

私が二言を言ってもいいんじゃないかって思うのは、

自分の気持ちが、以前に思ってたこととか、前に好きだったこととかけ離れてきた時、それでも昔の心を貫き通すのって必要なのかな?って部分。

 

自分の内面が変化すれば、おのずと行動も変わる。そして、人との関係性も変わる。その変化を受け入れるのは”二言”になっちゃうのかなぁ。

 

思考に頼って考えると、正義を貫けという結論になるかもしれない。

武士は食わねど高楊枝。

フェイクでもプライドや体面を繕うことは大切だった時代もあったのね。

 

だけど、自分の心に正直に生きたら、一年前に言ったことと真逆のことの方が今はしっくりくるのよねってことだって、あると思う。

 

自分の気持ちや感性に素直に生きてみても悪くないと思うんだけど、あなただったらどうする?

 

 

今感じてる気持ちを常に偽りながら生きてきた私だから、正義という仮面を被ったエゴの呪縛の不自由さはよくわかる。

 

自分の内面が変化したから、表現も行動も変化させたいのに、対外的なメンツで、変わりました〜って言えなかった。

 

貫き通すのは、人と交わした約束。

自分の感情は変わったら変わったって受け入れる、

つまり二言があっても良いんじゃないの。

 

 

ただ、この、変化を受け入れる生き方、

自分軸がないと、他人に振り回されてしまうから注意が必要かもしれない。

自分軸がないとなぜ溺れちゃうのかってこと、それは明日書いてみたいと思う。

 

 

 

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