ブッダの弟子

”白い犬”の日のパワーを感じてから、
条件やジャッジを伴わない自己受容を、意識的にしている。

絶対的に思考優位で武装してきた私である。

感情と思考と言動がバラバラだったから、
それぞれが違う方向へと対立して力は分散する。

そんな人生、もう手放したかったのだと思う。

そんなわけで、感覚、感性で感じ取れるエネルギーを
「はい!感じました!受け取りました!」と
素直に認めることにしてみた。

自分の感性を信じるという試みである。

感性が受け取るメッセージを、ただ否定しないで、
感じたのだからそうなんだ、
聞こえたからそうなんだ、
見えたのだからそうなんだ、と、
ただただ否定をしないことにしてみた。

ずっと長いこと信じてあげなかった私の感性にお詫びをして、
全面的に否定をしないことが、
自己信頼や自己受容へと繋がると、どこかで感じたから。

 

こんな奇妙な修練?をしている私に何か変化は訪れたのかといえば、
感覚から送られるシグナルがだんだんクリアになってきたようだ。

 

 

脳に聞かないで体に聞く。
自分の感覚に聞く。

だって体は、単細胞生物から進化した発生の歴史を、
子宮の中でしっかり体験してから生まれてくるのだから。

進化の歴史を細胞に刻んででやってくるのだから。

こんな風に自分のルーツを体に問い続けていたら、
ふと、「あっ、私、ブッダの教えもキリストの教えも知ってる!」ってハートが呟いた。

これを集合意識と呼ぶのかもしれないと思った。

 

 

 

ファイブリズムで汗だくで倒れそうになるくらい細胞を動かして、
周りの人から流れてくる「気」を感じながら、
自分も「気」をぐるぐるかき混ぜながら踊った後で、
床に半跏趺坐で座ってた時のことだった。

 

 

ケイト(5リズムの先生)が、
one body, one heart ,one feeling, one spirit !! と叫んでいるのを聞きながら、
自分が今感じたことを、感じたままに体を動かして表現する。

 

体も、そこから湧き上がる感情も、感情を外側に向けて伝える表現も、
全部の根源がとことん同じ。

感情と言動が一致していない、いつものちぐはぐな私じゃない、

一つの私を感じ取った後の出来事だった。

踊る瞑想と呼ばれるファイブリズムも回を重ねてきた。

 

今までは、自分と向き合うという課題がやってきていて、
インナーワークのような気づきと癒しを感じていたのだけど、
外側との交信へと広がったのはこれが初めてだった。

思い出していないだけで、
私たちは自分の中に、沢山の時間軸を、
記憶という形で背負って生まれてきているんだと思えた。

 

 

I am awake. と言ったブッダの境地は、
集合意識で繋がれば
自分の体験として、
ブッダの弟子になったのと同じ体験として、
私の元にやってくるのだと思えた。

 

 

ブッダの弟子」への1件のフィードバック

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