キッパをつけた青年

 

この間バスに乗ったら、私の席の二つ前の座席に
一人の青年が腰かけているのが見えた。

 

私は彼の後ろの席にいるので、まず最初に、
彼の頭のキッパが目に飛び込んできた。

 

 

キッパというのはユダヤの人たちの民族衣装の一種で
男性がかぶる帽子のようなもの。

 

 

サンタモニカはジューイッシュの人たちが多い土地らしい。

だからジューイッシュの祭日は、
アメリカ全体とかカリフォルニア州の祭日よりも重視されているのだと
以前 ESLの先生が言っていた。

 

ロサンゼルスに行くと、ユダヤ正教の厳しい戒律を守るジューイッシュの人たちも見かける。

彼らは見た目が独特なのですぐに分かる。

 

 

ユダヤ民族と大和民族は何らかのつながりがあるんじゃないかという説がある。

日本に伝わる伝説の動物の河童は、このキッパが語源と言われたりする。

 

 

アッシリアに敗れて離散したユダヤの人々は、

地理的な制約から必然的東に向けて旅をした。

 

その中には、最終的に海を渡り日本にたどり着いたか、

意識的に日本を目指していた人々がいたとしても不思議ではない。

 

彼らはその足跡を全く残していないらしく、

どこへ行って、どこで生きながらえたのか立証するのは難しい。

 

 

2600年も前のことだから余計だ。

突拍子もないことのように思える。

 

 

でも、不可能ではなかったはずだし、全面的に否定もできない。

実際、伊勢神宮などの神社に行けば、六芒星を見つけることができるのだし。

 

 

 

 

今日は私の誕生日で、産んでくれた両親に感謝する気持ちが
いつになく湧いてきていた。

 

人は、自分のルーツを求め、
何のために地球へやってきたのか答えが欲しいと望む。

 

 

自分の親のそのまた先の先祖の、ずーっとずーっと先に、
ユダヤの人々の血がどこかで混じってきたかもしれないとなれば、

キッパの青年も、ジューイッシュの人たちも、尚更に親近感を持って感じられてくる。

 

 

そんな自分のルーツに思いを馳せながら、


キッパを被っていても、キルトを身につけていても、

着物を着ていても、サリーを着ていても、

生まれ出でた根源は同じところだったのだろうなと思う。

 

肌の色、顔つきなどの多少の差異はあるにせよ、
結局ルーツは一つで同じだったのだろうなと思う。

 

 

なのに宗教的、政治的、民族的な違いからの
排他的な考えが存在してしまう。

 

 

自分のルーツを世に知らしめることだから、
ジューイッシュと分かるキッパを身につけることは、

反対勢力から攻撃される可能性があり、

安全上望ましくないと言われたりする。

 

 

 

 

私たちよりずっと前の時代にアメリカに渡った私たちの祖先も
第二次大戦中は、強制収容を経験している。

 

アメリカで生まれ、アメリカの市民権を持ちながら、
日系アメリカ人というだけで不当な扱いを受けた歴史から、

在米の日系人は、同じ思いをアラブの人々に味あわせてはいけないと考えている。

 

 

 

自分のルーツを知ることは、歴史を知り、

歴史から学ぶことなのだと思う。

 

キッパの青年が、誰からも傷つけられる心配のない国であって欲しいと思う。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です