分かち合う、通いあう

 

サンタモニカの気功のクラスに参加するようになってから、
「氣」について考えることが多くなった。

 

「氣」というのは普通は目には見えないし
(中には視覚的に認識できる人もいるのかもしれないけど)

定量化もできないし、
分析したら定義できるのかどうかもわからないけど、

きっと存在するんだろうと、根拠のない確信がある。

被害者満載だった頃の私は、
どこかから氣を奪って自分のものにしたくて仕方がなかった。

自分の中に氣を満たせば、
自分がエネルギーでいっぱいになれば幸せになれたり、
元気になれたりするんだと思っていた。

大間違いだったって今なら分かるけど、
奪えば自分が優位に立てるんだって信じてた。

エネルギー不足を感じているから、他人のエネルギーを奪って自分のものにして、
自分だけ幸せになりたかった。

エネルギーは循環させていく、氣は通わせていくのが良いらしいと

最近になってやっと気づいた。

周囲と氣を通わせる、エネルギーの循環を起こすことで

氣は淀むことなく生かされていく。

だって、氣は自分一人のものじゃなくて、宇宙と共有しているものだから。

これは、氣だけじゃなくて

幸せにも言える。

分かち合うことで幸せが広がる。

だから、自分が幸せになりたいと思ってる人より

人を幸せにしたいと思っている人の方が圧倒的に幸福感を感じるのだそうだ。

そういえば、ず~っと前の、私がまだ若かりし頃、

気持ちが今よりずっとピュアだった時

夫がウイッシングボードに貼り付けてたベンツの写真を見て、

彼をベンツに乗せてあげようと願ったことを思い出した。

自分が乗ろうというのではなく

夫が乗れるようにしてあげようって自然と思えた。

人のためを願うという動機の方が、原動力としては大きいのかもしれない。

結局彼はベンツでなくボルボを選んだけど、

誰かのためにという思いは、持続可能なエネルギーなんじゃないかと思える。

幸せも氣も、誰かと分かち合うことで

大きくて素敵な活用法が、きっと待ってるんだと思う。

 

 

 

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